野生動物と人間の共生とは何か/ワイルドライフ・マネジメント入門

ワイルドライフ・マネジメント入門

日常生活の中で野生動物との関わりを意識する人は多くないでしょう。しかし最近は、日本人にとって馴染みの深いミドリガメが特定外来生物に指定されることもあり、いつもよりもちょっとだけ気になっているかもしれません。

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この記事を書いているK-ki(K-ki@AquaTurtlium)は、こんな生き物関連のウェブサイトのを運営しているので「外来生物」だとか「生物多様性保全」という言葉の意味は知っています。でも、これらの知識を体系だてて理解できているとまでは言えないのが実情です。

そこで今回はこちらの「ワイルドライフ・マネジメント入門」という本を読み、人間は野生動物とどうやって共存していくべきか学んでみます。

ワイルドライフ・マネジメントという概念

そもそもワイルドライフ・マネジメントとはなんでしょう。日本語では「野生動物管理」と称されるこの言葉ですが、本書の冒頭でその概念が説明されます。

欧米ではワイルドライフ・マネジメント(Wildlife Management)という言葉が広く浸透している。直訳すれば野生動物管理だ。

< – 中略 – >

ワイルドライフ・マネジメントとは「野生動物に関する知識を結集して巧みに対処する」という意味になるだろう。

野生動物は国民の共有財産として次世代へと引き継いでいかなければならない。このためには様々な取り組みが必要だ。生息地をそのまま保存して個体群(ある地域に生息する同じ種の個体の集まり、集団)を自然の推移にゆだねたり、存続や増加を阻む要因を取り除き生息環境を整えて個体数の増加を促したり、さらには、むしろ積極的に関与して、個体数を調節したり、合理的な利用を進めながら個体群を最適な状態に誘導したりと、野生動物たちの特徴や生息状況に合わせて、最良の方法を選択しなければならない。それぞれは保存、保護、保全と呼ばれるが、管理とはこれらの総合であり、巧みに対処するとは、それぞれの方法を柔軟に、そして適切に実行することである。

p.1~2

本書ではこのように、個体数を維持する「保存」、個体数を増加させる「保護」、個体数を調節する「保全」をまとめて「管理=マネジメント」と表現しています。また、この管理の対象となる動物群は「希少種」「外来種」「普通種」に大別されています。

すなわち、よく聞く「野生動物の保護」という言葉は、ワイルドライフ・マネジメントの一部を切りとっているに過ぎないということに気付かされます。また、希少種や外来種に注意が向きがちですが、比較的身近な普通種もワイルドライフ・マネジメントの重要な対象となることも見落としがちでしょう。

なぜワイルドライフ・マネジメントが必要となるのか

日本では明治時代に、毛皮や羽毛を得るため、または産業の邪魔になる害獣の駆除といった名目で、大規模な乱獲・絶滅が起こっていたと著者・三浦慎吾教授は述べます。そして以下のように続きます。

日本には紛れもない乱獲と絶滅の歴史があったことを忘れてはならない。ここに、ワイルドライフ・マネジメントを必要とする原点がある。

p.10

すなわち、乱獲や絶滅といった「問題」が存在しているため、その対処を考える必要があるという主張です。しかしこの時点ではまだ、「なぜ野生動物の乱獲や絶滅は忌避されるのか」という疑問が残ります。

ワイルドライフ・マネジメントの原則「ルーズベルト・ドクトリン」

この疑問に対する答えは、ワイルドライフ・マネジメントに多大な功績を残した、アメリカ合衆国第26代大統領、セオドア・ルーズベルトの思想から導かれます。

彼は、趣味である狩猟が末永くできるためには、野生動物は持続可能な形で利用しなければならないとの思想の持ち主で、野生動物に関する次のような原則、ルーズベルト・ドクトリンを打ち立てた。

①狩猟鳥獣を含め野生動物は一つの「まとまり」である。
②野生動物の賢明な利用を通じての保全は公的な責任である。
③科学はその公的な責任を果たすためのツールである。

p.18

つまりルーズベルト・ドクトリンとは、野生動物は公共の資源であり、その運用は科学に基づいて行われるべきである、ということを規定したワイルドライフ・マネジメントの基本原則なのです。命の大切さ、とかそういった倫理的・感情的な話は一切関係ない、かなり合理主義的かつ功利主義的なものだったんですね。

またこのドクトリンの①では、もともと狩猟の対象となる鳥獣だけであった管理の対象を、全ての野生動物、そして生態系へと拡張し、この考えが現在の「生物多様性の保全」という価値観へと成長したと筆者は述べています。

さらに、②のように野生動物を公共の資源とするに際し、③で「科学に基づいた保全を行う」とすることで、個人の主観を捨て問題を公的なものへと昇華させています。これは非常にドライな選択ではあるものの、こうすることで余計な雑音を除き、よりシンプルに目的(野生動物保全)達成が可能になるでしょう。

この「科学に基づいた保全」の重要性は本書でも再三強調されている点です。例えば以下の様な、ルーズベルト・ドクトリンの制定に強い影響を与えたとされる初代国有林長官、ジフォード・ピンショウの考えもその主張の材料として言及されています。

彼の思想は次の三つに要約できるだろう。

①人間は自然資源を利用しなければ生存できないが、絶対に浪費してはならない。
②自然資源は少数者(業者や企業など)ではなく、将来世代も含めた万民の利益のために利用されなければならない。
③資源利用は科学を基礎に展開されなければならない。

そこには合理主義や功利主義の精神とともに、科学の重要性が表明されている。

あとがきより

そしてこのような「合理主義」「功利主義」「科学(優位)主義」に基づいたワイルドライフ・マネジメントを行うべき理由が、以下の文章に集約されていると私は感じました。この文章こそが、本書の序盤部分の結論ともいうべきものではないでしょうか。

これらの原則を一言でいえば、「賢い利用・巧みな管理」であり、ルーズベルトはこのことを的確に表す用語として保全という言葉を使った。それぞれは、生態系主義、公的責任、科学(優位)主義と呼べるだろう。わたしはこれらをワイルドライフ・マネジメントにおける三原則と呼びたい。狩猟を軸とした功利主義にもとづいているとはいえ、合理的で普遍的な原則だ。

p.19

この「合理的で普遍的」という枠組みに落としこむことこそが、学問としてのワイルドライフ・マネジメントを成立させているとともに、その実用性を保証するのでしょう。「合理的で普遍的」でない方法論など、有用性が不明確で独りよがりな代物でしかなく、価値が見いだせませんよね。

そして感じるのは、結局のところ動物愛護者と野生動物管理者が相容れないとしたらこの大原則の部分であるのだろうな、ということです。

合理性・普遍性を得るために「功利主義」という人類共通の恩恵を軸にしたワイルドライフ・マネジメントに対し、「動物への共感」という全く別の理由から活動をおこなう(一部の)動物愛護家が相容れないのは、当然のように思われます。

そしてこれこそが、私のような理系脳の人間が動物愛護活動を胡散臭く感じる理由なのでしょう。私にとっては、「合理主義」「功利主義」「科学(優位)主義」に依拠しない活動に共感することなんて不可能とすら感じられてしまいますからね。

ちなみに、ここまで生物多様性によって恩恵を享受できるという前提で「功利主義」という言葉を使ってきましたが、「生物多様性から一体どんな利益が得られるのか」と感じる人もいるでしょう。そんな人はこちらのページを読んでいただくと理解が進むと思います。

#つなごうミドリガメ に思うこと-生物多様性保全と動物愛護の狭間
Twitterで見つけた「#つなごうミドリガメ」というタグと、それに関連するミドリガメ駆除中止の署名活動についてK-kiの考えを紹介します。生物多様性保全と動物愛護の違いは、動物愛護が個人の感情に基づくのに対し、生物多様性保全はあくまで人間の利益確保が目的である点にあります。

生物多様性によってもたらされる「生態系サービス」について簡単に説明しています。

ワイルドライフ・マネジメントの本質

ワイルドライフ・マネジメントがどのようなもので何を目指すのか、それは理解できました。ここで筆者は、ワイルドライフ・マネジメントへの理解をさらに深めるため、議論を展開していきます。

もちろん個々の種は保全されなくてはならない。だがそれ以上に、守るべき者は、環境変動の歴史の中で成立してきた生物群集と、その関係性や相互作用のまとまり、あるいは生態学的過程(食物連鎖やエネルギーの流れなど)ではないか。なぜならそれが生物多様性の源泉であり、基盤だからだ。これがワイルドライフ・マネジメントにおける「生態系主義」の立場である。

p.50~51

ルーズベルト・ドクトリンの元になったジフォード・ピンショウの考え方のうち、生態系主義についてのさらに噛み砕いた説明です。個体や種といったミクロな視点ではなく、あくまで生物群集・生態学的過程というマクロな視点で議論をすることこそが、生態系主義であるという意味でしょう。

これは資源の有効活用を目的とするワイルドライフ・マネジメントにおける、資源=生態系サービスが、ミクロなものではなくマクロな生物群集によってもたらされることと符合します。

筆者はさらに以下のように続けます。

生物群集は絶えず、そしてダイナミックに変化していく。だが、異常な環境や人為が引き金となって短期間のうちに、生態系の関係性全体を根底から塗り替えてしまうような影響の強い種と、そのもとでしか成立しないような生物群集は、可能なかぎり排除すべきである。

p.51

上述したように、ワイルドライフ・マネジメントでは、保全対象を狩猟鳥獣から生物群集・生態学的過程 (=生態系)へと拡大しています。そしてこれを保全することこそが、生物資源の持続的な利用に繋がるという立場です。

従って、この生物群集・生態学的過程を乱す要素は取り除かねばならず、それが人為的な理由で異常増加した種ということになります。人間の手で増えた命を人間の手で減らすのだから科学的にはおかしくないでしょう。

しかし私には、「人間の都合で生命を好き勝手に操って良いのか」という倫理的な問題が残っているように感じられます。これはこの後に続く以下の文章からも同様に感じられました。

これらは動物個々の生命を大切にする愛護の立場とは異なる。人間と動物との間には、強い絆や愛情、かわいそうといった感情が生まれることがある。それは他者への共感であり、命への思いやりであり、とても大切である。だが、同時に、個々の生命は、集団や種、生態系の存続のもとで初めて繋がることも忘れてはならない。ここで問題にしているのは、そうした個人的な心情を超えた人間社会と野生動物との関係の有り様であり、生態系における生物間相互の関係性である。

p.51

動物愛護と生物多様性保全(ワイルドライフ・マネジメント)の対比がまとめてあり分かりやすいですし、科学的には間違っていないでしょう。しかし一方で、この理屈を人間に当てはめると途端にバッシングが起きることは想像に難くありません。

要するにワイルドライフ・マネジメントでは、根本的に「人間と動物は違う」という前提があるのです。そしてこれこそが、動物愛護者と野生動物管理者の決定的な違いであるのではないでしょうか。

私の個人的な見解を述べれば、以下の一文からも推察できるように、「人間と動物は違う」という考え方こそが自然なあり方と感じられます。

捕獲する限りは有効に利用する、それが人間と野生動物の本来の関係である。

p.53

こういった観点からは、ゲテモノ的なアプローチとして批判を受けがちな、以前当サイトで紹介したカメカレーのような方法も自然なものではないかと感じさせられます。

ミドリガメ駆除方法に新案!亀肉カレーが意外においしい!?
日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されているミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)の駆除方法として、カメ肉カレーにする方法が考案されました。試食会では意外にも好評だったとのこと。亀の駆除や活動の経緯について紹介します。

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ワイルドライフ・マネジメントの実践

さらに本書では、ワイルドライフ・マネジメントの実践へと話題を移し、筆者の経験を交えながらその方法論を説いていきます。そもそもワイルドライフ・マネジメントの実践においては、以下の2つが中心であるとのことです。

ワイルドライフ・マネジメントは野生動物の生息地管理と個体群管理という2つの柱から成り立っている。

p.57

この後は(主にフィールドワークや研究活動としての)生息地管理・個体群管理の詳細な方法が述べられていきますが、それについてはここでは割愛します。私にとって印象深かったのは、筆者の研究活動を通じて確認できた、こちらの結論部分です。

野生動物の個体群がどのような動態を示そうとも、集団サイズ(つまり個体数)が大きければ個体数は決してゼロにはならない。けれどもこのサイズが小さければ、ゼロ、すなわち絶滅が起こる。なぜ集団サイズが小さくなるのか。乱獲や外来種の影響、汚染などの要因があるが、中でも指摘したいのは生息地の分断化だ。

p.103~104

自然や環境はいつも変化し、ゆらぐ。同時に野生動物自身の生存率や繁殖率、あるいは遺伝的性質も変動し、ゆらぐ(非定常性)。小集団ほどゆらぎの影響は大きく、偶然の出来事に支配され、つねに幸運と不運にさらされる。だから、原因岩盤であれ、一度小集団になると、渦巻きに引き込まれるように、絶滅へと導かれる。これを絶滅の渦という。

p.106

当サイトにおいて、保護すべき希少種としてよくとりあげるニホンイシガメに関しても、個体数減少の最も大きな要因はミドリガメのような外来種ではなく開発であるということが言われていました。私にはこれまでその根拠はわからなかったのですが、本書のこの文章を読むことでやっと理解できました。

個体数が減少する要因はいくつもありますが、個体数そのものを急激に減らすのほどの影響があるのは、大規模な乱獲など一部に限られるはずです。しかしここで示された生息地の分断=開発の影響は、短期的には強い影響を与えずとも、長期的な観点からは非常に「重い一撃」となることが示唆されています。

開発によって生息地が分断され、集団サイズが小さくなると、環境要因の影響を受けやすくなり、ふとしたことで個体群の維持に問題が生じるほどの、取り返しの付かないダメージを受けてしまうようになる、ということです。

本書におけるこのあたりの議論の展開は、科学に裏打ちされたワイルドライフ・マネジメントがその有効性を実証していく、非常におもしろい部分ですので、是非一読してみることをおすすめします。

「ワイルドライフ・マネジメント入門」を読んで

本書を通じ、野生動物を保全するための科学的なアプローチであるワイルドライフ・マネジメント/野生動物管理について、非常に理解が深まりました。全体的に文章が簡潔でなく、読みやすいとは言い難いのですが、しっかりとした学術的背景を持った入門書と考えればしては決して読みにくいものではありません。

本書全体を通じて気になった点を挙げるとすれば、人間が関与する以上必ず存在するであろう「間違い」への対処があまり述べられていない点です。

そもそもワイルドライフ・マネジメントが必要な状況になったのは、生態系を保存する必要性やその方法を人間が適切に理解していなかったという「間違い」のせいとも言えるでしょう。そうであるならば、人間の間違いへの対処もこの分野においては重要なファクターではないかと思うのです。

ワイルドライフ・マネジメントの手法を用いても、人間の判断が介在する以上どうしても間違いは起こるでしょう。生態系に対し、そのような間違った施策をしてしまった場合にどのようなリスクが生じ、それをどう低減させるのかについて、もう少し詳しく書かれていても良いのでは、と感じました。

とはいえ本書は、野生動物の保全において科学優位主義を主張するだけあり、体系だって整理されていて私のような素人にも分かりやすいと感じました。野生動物の保全に興味があるが知識はあまりないという入門者にとっては、ワイルドライフ・マネジメントについて学ぶ最初の1冊として非常に適しているのではないでしょうか。

私もこの分野にさらに興味が湧いてきたので、関連書籍を読んでもう少し勉強しようと思います。次は本書の巻末読書案内でも推薦されていた、こちらの書籍を読む予定です。

読了して内容を咀嚼したら、また書評記事を書いてみようと思います。

今回は三浦慎吾氏の「ワイルドライフ・マネジメント入門 野生動物とどう向きあうか」を読み、書評を書いてみました。書評というよりも、自分の理解をまとめた感じになってしまいましたが、参考になったでしょうか。関連書籍のおすすめなどありましたら、ぜひコメントやメールをお待ちしています。

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